スポーツの力と堺の本来もつパワーで子どもたちの笑顔で溢れる街にする
日本製鉄堺ブレイザーズは数々の名選手を多く排出しており、多くのOBが日本代表監督を務めている歴史ある名門チーム。
そんなチームが『BLAZERS Smile Action』というプロジェクトを立ち上げました。その取組にウマクも賛同し、参加することになりましたが、そのプロジェクトが立ち上がった背景と想いを株式会社ブレイザーズスポーツクラブの代表取締役社長 田下昌孝様へウマク代表の清水がインタビューしました。
御社について簡単にお伺いできますでしょうか
田下:ブレイザーズスポーツクラブというのは、八幡製鉄株式会社のバレーボール部として始まり、堺に新たな製鉄所をつくるにあたり、従業員の求心力になることを企図して、堺に引っ越して来ました。
当時は有力な選手も多く在籍しており、常勝チームと呼ばれておりましたが、その後、会社の経営が苦しい時期が続いたこともあり、いつしか古豪チームと呼ばれるようになりました。そのような状況下にあって、当時の新日鉄バレー部を株式会社として独立させ、ブレイザーズスポーツクラブが誕生しました。2000年の出来事です。
当初は様々なスポーツを手掛けることを想定し発足したようですが、当時から現在に至るまでバレーボールのチームとして運営を続けています。そして、バレーボールを通じて、現在の日本製鉄グループの従業員をモチベートするには常勝軍団である必要があり、それを期待されているんですね。また、バレーボールを通じて地域に貢献し、青少年の健全な育成に寄与していくことも大事なミッションです。
ビジネスとしても成立するバレーボールのあり方を大事にしている
田下:ブレイザーズスポーツクラブの社長をさせていただいていますが、私自身は、バレーボールの全くの未経験者ですので、まずは経営に集中して仕事に取り組みました。そして、男子バレーボールへの理解を深めるにつれ、大事なのは体育の延長としてのバレーボールではなく、ビジネスとしても成り立つ、楽しくてワクワクするバレーボールを提供することが、今の世の中の流れでは大切だと思うようになりました。
そう思ってからは、見ていて楽しんでもらえる常勝軍団になるべく会社として全力をあげてますし、私自身も引き続き先頭に立ってやっていきたいと思います。
清水:たしかに先日観戦した時に、コートの前に立って声を出されているシーンを見ました!笑
代表取締役社長 田下昌孝 氏
日本製鉄堺ブレイザーズとして、社会貢献しながら利益を出し、民間企業が主体性をもって行政に貢献できる方法があるのではないか
そんなブレイザーズスポーツクラブの『BLAZERS Smile Action』の概要や立ち上がった背景を教えていただきますか?
田下:もともと堺市を中心にどのように貢献できるのかを考え、試合を通じて皆さんに楽しんでもらうことや、子供向けの堺ジュニアブレイザーズという下部組織をこの地で長らく運営し、子供にバレーを教え健全に育成することで貢献してきました。
しかし、今の時代の流れだと、それだけでは取り残されるということで、我々の存在自体をもっと知っていただくという要素も加味して、社会貢献しながら利益を出し、民間企業が主体性をもって行政にも貢献できる方法があるんじゃないかと模索していました。
これまでコストを削減し、守る経営を長らく続けてきましたが、変革期を迎えた現在のバレーボール界では、仮にそのようにして球団として生きながらえても、常勝チームにはなり得ないと思いました。それではダメなので、常勝チームらしくなるには何をしなければいけないのか?と悩み、それには、皆様の協力のもと認知度をあげることで観客数を増やし、事業収益の改善にもつなげることではじめて常勝チームを作りあげることが出来ると考え、リスクをとって前に出ることにしました。
人の感情が動くところに、企業の価値であったり地域の力支えになるパワーが生まれるはず
清水:弊社も耳にしてすぐ手をあげましたが結果、プロジェクト開始から1ヶ月も経たないうちに参画させていただいたということですね。
スポーツマーケティングというのは東京在住の時から気になっていたテーマだったんです。僕もずっと東京でマーケティング支援の仕事をしてて、父の家業のスーパーを継ぐことがきっかけで大阪に戻ってきたんですが、堺駅に降りれば日本製鉄堺ブレイザーズのロゴがジャックしていて、堺の地元の方々にとっては大事なエネルギーのきっかけでもあると思うのです。スポーツは人を熱狂させるパワーがあって、感情が動くというのはマーケティンでも非常に大事なタッチポイントなんです。
人の感情が動くところに、いかに企業の価値であったり地域の力支えになるパワーが生まれるはずだと思っています。
そういったときに声をかけていただいて、弊社が第一号のパートナーになったみたいで、授与式して頂きました。授与式ふくめ、あらためてどうでしたか?
田下:いや、率直に嬉しかったです。賛同していただけるこういった地元の企業がいることが、UMAKUさんで証明できたのが何よりも嬉しかったです。
こういったことが今後広まって価値観として共有されることが、多くなればなるほど今後おそらく堺市に対しても思いが深くなって形になる。まずはできることから一つ一つ、でももっと大きくこういった仕掛けをできると、よりいいと思います。
日本製鉄堺ブレイザーズとウマク株式会社のリリース
~ウマク株式会社様ご協力のもと堺区内の小学校へ「スマイルボール」および「ビブス」を寄贈~
古くから貿易で栄えた堺の歴史と、バレーボールを通じて堺をあらためて盛り上げたい
他のパートナー企業さんも手を挙げられていると聞きましたがいかがでしょうか?
田下:ええ、お陰様でこういった趣旨に賛同していただける企業様が増えています。また、その企業同士を我々がネットワークにして次に面白いことが出来れば良いと思います。
清水:パートナーというには社会貢献、社会課題を一緒に取り組む、連合軍のように向き合える空間のような者だと思っているので、一緒に解決できれば良いと思います。
田下:少し話は逸れるかもしれませんが、堺というのは古くから貿易で栄えた町ですが、バレーボールを通じてかつての堺のように盛り上げることはできないか、と考えています。
例えば堺の歴史で育まれた堺の上質な文化とインバウンドを組み合わせるなど。
堺駅の港にある大浜の銅像にもなっている伝説的貿易商人「呂宋助左衛門」(wikipedia)がフィリピンと貿易したように、関空から帰る前にワンクッション堺で楽しんで帰ってもらうということを一つのパッケージにすると良いんじゃないかと。
なぜフィリピンかというと、諸説ありますが、バレーボールはバスケットから生まれたようなんですね。バスケットはアメリカで生まれましたが、体が大きい人が有利なスポーツなので、女性や子供も楽しめるようなスポーツとして、ボディーコンタクトの少ない、ネットを介して左右に分かれてするゲームとしてのバレーボールが生まれたようなんです。
その後、アメリカの植民地時代のフィリピンでも広まり、爆発的な人気になったようなんですけど、トスが53回とか片方のコートだけで上がり、ボールが留まってしまったことがあったようで、これではダメだろうと(笑 その結果、3回内で相手コートにボールを返すことや、アタックというプレーなど、近代バレーの基本が生まれたのもフィリピンのようなんですね。
そして、フィリピンは、ナショナルチームは強くはないのですが、国民はとても熱狂的なんですね。
なので、堺とフィリピンの貿易の歴史にも登場したであろう、鉄から作る刀鍛冶・鉄砲鍛冶から始まった堺ブランドの包丁や、千利休の茶道とお茶菓子・お香等と、フィリピンで人気のあるバレーボールを提供する日本製鉄堺ブレイザーズをコラボさせ、海外向けにコーディネートして提供することで堺に貢献したいと思っています。
清水:職人の街でもあるのでブレイザーズのカラーとも融合できそうですね!
スポーツと堺の文化をより融合させていきましょう。本日は誠にありがとうございました!
ウマクでは、本質的なマーケティング課題と組織的課題に向き合い「人」に寄り添った伴走型のコンサルティングを心がけています。カジュアルに無料相談して頂けるとウマク支援します。